岡田三郎さん追悼
業界のなかで家族というものが存在するならば、岡田さんは、私のお兄さんでした。
18歳の時から、ずっとお兄さんの目で私を見ていてくれて、
私はそれに甘えて、いつもワガママいって、だだをこねていました。
お母さん役の湯川れい子先生とともに、「全米Top40」という偉大な番組を制作し、
業界にもリスナーがたくさんいる「全英Top20」も岡田さんの制作でした。
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(Londonのタヴィストック・ホテルの前で。私のセーターが恐ろしく子供っぽい。時代を感じさせます。)

亡くなる10時間前に電話で話したのが最後でした。
週末に、私のスタジオでパット・マッグリンと「Saturaday Night」の着うたを
収録していたのに・・・
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前週の金曜日、名古屋に一緒に行く予定が、またワガママ言って、
私は行かなくて・・・・。でもそのあと夜中の3時半に電話があって、
叱咤激励してくれたのに・・・・
あっという間に、1月28日に逝ってしまいました。

お通夜では、弔問に来てくださった友人の顔を見るたびに、
涙が出てきました。
ラジオ業界で生き残ることが難しくなっている今、最後までラジオを愛して、
音楽を愛して、逝ってしまいました。

いろいろなことが思い出されます。
初めてアーティスト・ケアーをやったり、(パナッシュでした)
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Duran Duranの本を出版させてくれたり、
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ジョンとギラ(ジューシー・クチュールのオーナー)夫妻を囲む会。故福田先生もいました。)

Londonで、段ボール箱を二人でもって、えっさえっさとレコードを大量に買いに行ったり、
Londonに住み始めた私のもとに、息子さんの一男君と一緒に遊びに来てくれたり、
LondonでBBCのDJと一緒に仕事ができるようにセッティングしてくれたり、
Londonから帰国して、2年間仕事がなかった私に、そろそろ始めようか・・と声を
かけてくれて、一から出直しをさせてくれたり、
自虐的だった私に、会社作ったら、と言って、立ち上げの資金を貸してくれたり・・・・


ケンカもよくしました。
私が一方的に困らせていたけれど・・・・

笑いもありました
結婚式でもいつもの岡田さんのしきり!!オセオセのスケジュールを
一応花嫁衣装の私に、「スヌーピー、押してるよ。何かカットだな」と。
私も仁王立ちで、「まずいですよね~」と。

最近、こんなことを言っていました。
「嬉しいNewsだよ、クリフ・リチャードがLondonでコンサートをやるんだって」
London行きを計画していたんでしょうか。
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(ひそかに私も大好きなクリフです。れい子先生もいます)

少しずつ、少しずつ、またいろいろな出来事が思い出されていくはず。
岡田さんは、たくさん、たくさん、働いたから、今は、ゆっくり休んでください。

今まで、本当に、ありがとうございました。
by reflexmusic | 2009-02-02 03:57 | プライベート
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